
© Masaki Ogawa
伊万里鍋島焼の名門「畑萬陶苑」
17世紀、ヨーロッパの王侯貴族たちを魅了し、「金」に匹敵するほどの高値で取引されたことから「白き黄金」と呼ばれた伊万里焼。中でも伊万里鍋島焼は、「秘窯の里」と呼ばれる大川内山を拠点に育まれました。
江戸時代に肥前佐賀藩鍋島侯の御用窯として、将軍家や諸大名に向けた献上品を門外不出の高度な技術によって製造していた歴史をもちます。畑萬陶苑は、その歴史と技術を背景に、伝統技術の担い手として昭和元年に創業した窯元です。
畑萬陶苑ホームページ
伊万里鍋島焼ダイヤル 制作者

© Taiki Beaufils
畑萬陶苑 常務畑石 修嗣
- 1985年
- 佐賀県生まれ
- 2010年
- 東京造形大学彫刻科卒業
- 2012年
- 佐賀県立有田窯業大学校卒業
- 2012年
- (有)畑萬陶苑入社
- 2020年
- 現在伊万里市在住
≪陶歴≫
- 2012年
- 西日本陶芸美術展 沖縄県知事賞
- 2013年
- 日本陶芸展 準大賞
陶美展 茨城交通賞
九州山口陶磁展 佐賀県知事賞
第60回日本伝統工芸展 入選 - 2014年
- 九州山口陶磁展 日刊工業新聞社賞
第2回陶美展 入選
第10回国際陶磁器展美濃 入選 - 2016年
- 有田国際陶磁展 朝日新聞社賞
- 2017年
- 有田国際陶磁展 佐賀テレビ賞
第11回国際陶磁器展美濃 入選 - 2018年
- 有田国際陶磁展 佐賀県美術陶芸協会賞
- 2019年
- 2019金沢・世界工芸コンペティション奨励賞

まず、この道を継ぐことを決心されるまでの経緯をお聞かせください
佐賀から上京し、大学では彫刻を専攻していました。
大学2年生の時に銀座で行われた父親(注:畑萬陶苑社長 畑石真嗣氏)の個展の手伝いの際、50cmの大皿作品を見て、美術作品としてのすばらしさに初めて気づきました。父親と職人が持つ巧みな技が惜しみなく表現された作品に出合うことで、尊敬の念を抱くようにもなりました。
当時は将来について特に考えていなかったのですが、その後は帰省をする度に幼少期から身近にあった焼き物を改めて見て焼き物の魅力に惹きこまれ、卒業間際には父親と同じ道を選ぶ事を決心しました。

主にどのようなお仕事に携わっていらっしゃいますか?
大学を卒業して伊万里に戻った後、有田焼の技能や知識を習得するため2年間有田にて窯業の専修学校へ通いました。焼き物の素材は彫刻と違って柔らかいため、最初とても戸惑ったのを覚えています。
畑萬陶苑に入ってからは、まず
焼き物=湯呑、お皿などの器のイメージが強いですが、今回のコラボレーションのような器以外のアイテムも多く手掛けています。
今回のコラボレーションの依頼話が来た時にどのように感じましたか?
お話をいただいたときは、とても嬉しく思ったと同時に時計とのコラボレーションは初めてだったので正直、不安がありました。「どうやって作るのだろうか?」と自分の焼き物の知識の範囲の中で色々と考えてみましたが、当初はその答えが出てこなかったのです。
しかし、社長含めチャレンジスピリッツにあふれたメンバーと共に新しい技術開発を進めていき、改めてモノづくりの面白さを経験させていただきました。
時計のダイヤル製作で特に苦労された点は?
通常の焼き物の器は1、2mmの誤差も許容されますが、時計における寸法管理は1/100mm単位で、とても厳しかったです。例えば、絵具や釉薬の厚みで針がダイヤルにあたってしまい生地の厚みをさらに薄くしました。
また、今回は一般的な伊万里鍋島焼の原料と異なる佐賀県窯業技術センターが開発した世界最強クラスの強化磁器素材(特許申請中)※を畑萬では初めて使用しました。その素材と釉薬の膨張率が違うため焼きあがったダイヤルベースが反れてしまうなど、解決策を模索する必要がありました。
非常に繊細な仕上がりが求められ、全く傷のない状態でないと絵付けが行えないところも苦労した点です。
しかし、諦めることなく、チャレンジし続け、試行錯誤を繰り返し完成に至ることができました。試作は100枚以上にものぼります。
※出展元:佐賀県窯業技術センター
時計の完成体をご覧になった感想をお聞かせください
とても感動しました。
私たちはダイヤル製作だけでしたので、完成した時計のイメージが想像できませんでした。
開発経過を考えると苦労の連続だったため、実物を見た際は、感動と同時にほっと胸をなでおろしたという感覚です。

鍋島焼を代表する畑萬陶苑様ならではの、こだわりをお聞かせください
社長である父からは「手をかけていいものを作っていきなさい」と幼少から言われていました。
また、佐賀弁で「人がせんことばせんばいかん(=人と違うことをしなさい)」とも言われていました。
畑萬陶苑にいる18人の職人たちには、徹底的にこだわったモノづくりの精神で日々技術を磨いています。
器に限らず今回のコラボレーションのように新たなジャンルにチャレンジする、それこそが、畑萬のスタイルだと思います。
伊万里鍋島焼ダイヤル 制作者

© Taiki Beaufils
畑萬陶苑 社長畑石 眞嗣
- 1955年
- 佐賀県生まれ
- 1990年
- (有)畑萬陶苑 代表取締役社長就任
- 1998年
- 日本伝統工芸士 伊万里有田焼伝統工芸士認定
- 2004年
- 日本文化振興会 会員
- 2005年
- ハプスブルク芸術友好協会 宮廷芸術会員
≪陶歴≫
- 1986年
- 第10回全国伝統的工芸品展 会長賞
- 1986年
- 第30回全日本中小企業総合見本市 中小企業庁長官賞
- 1990年
- 第87回九州山口陶磁展 通商産業大臣賞
- 2003年
- 朝日陶芸展 入選
- 2004年
- 日本文化振興会 国際芸術文化賞
- 2005年
- 第8回北京国際芸術博覧会 中国国際貿易センター 3位
- 2007年
- モスクワ国際芸術博覧会 ロシア国立芸術アカデミー美術館 総裁賞
- 2008年
- 第105回九州山口陶磁展 経済産業賞
イギリスアカデミー 世界文化功労章

あらためて伊万里鍋島焼の魅力をお聞かせください
約400年の歴史がある有田焼の一つの様式である伊万里鍋島焼ですが、当時鍋島藩が、有田から優秀な職人を山里離れた伊万里大川内山地区に20名ほど連れてきて世界に類を見ない焼き物文化を目指したのが始まりです。日本画の絵師(今で言うデザイナー)が考えたデザイン画が江戸から送られてきたと聞きます。デザイン画は当然平面ですが、それを立体的に造形、絵付けしました。藍色を基本とし、釉薬に若干溶け込むことで柔らかくぼけ味を帯びた下絵付けと、赤・黄・緑を基調とした鮮やかな色味の上絵付けを駆使して、味わい深い奥行きを表現するのが魅力です。
絵柄の特徴として、例えば葉の重なり、花びらの表裏など自然美を意識したものが多く、また深い遠近感を出すことに重きが置かれています。
こうしたデザインを絵付けしていく際、絵具を重ねると違う色になってしまうため油絵のように上塗りで彩色する事ができず、正確な色をはみ出すことなく筆を入れる必要があります。これは非常に手間ひまがかかり、高い技術と経験が求められるところですが、それゆえに品格が生まれ、魅力的なものになっているのです。道楽文化ともいえますが、こうした魅力が多くのコレクターを惹きつけていると思います。

現在はどのようなお仕事をされていますか
息子の修嗣が常務として積極的に商品や技術開発に挑んでおりますので、私自身は、今までにないモノづくりをするために、新しいデザイン考案に挑戦したり、既に技能を習得している職人に対してプラスアルファの技術指導をするなど育成にも力を入れています。
また、伝統工芸士という肩書を持つ職人であると同時に、作家として毎年作品を制作しつづけており、国内では年2回ほど個展を開催しております。
さらに鍋島焼の普及活動を海外でもおこなっておりまして、年に1回程度文化交流の一環として海外へ作品を出展しております。
今回のコラボレーションをお受けになられた理由をお聞かせください
私、息子、畑萬陶苑の職人達は、常日頃、今までにないモノづくりをしていく事を信念として「まずは挑戦してみよう」という気概をもっています。現在でも香水瓶やウイスキーボトルなど食器以外の新しいジャンルのものに多く挑み続けています。
今回の時計のコラボレーションもそんな畑萬陶苑のチャレンジ精神をもって受けさせていただきました。
今回のダイヤル製作で特に苦労された点はございますか
ダイヤルの形状開発は息子に任せまして、私は下絵となる墨はじきを担当しました。
墨をいれたあと、絵具(呉須)をつけるのですが、今回はベースの素材が通常と異なるのに加え、滝の流れを表現するために、大変緻密なストライプを墨はじきで施すというデザインでしたので絵具の調整に大変苦労しました。限られた範囲での、且つ薄い色の中でのグラデーション表現であり、しかも窯の焼く位置によっても色は変化することから、狙い通りになるかは焼いてみないとわからない。ダイヤルの小さな世界の中でグラデーションを表現するため、足し算、引き算をしながら自分の勘所を鋭く集中させ調整しました。
今回の墨はじき技法は、絵具に浸す「浸け混み(つけだみ)」という手法を用いています。これまでにない微細な表現のため、絵具の粒度を通常より細かくするためにさらしで漉し、さらに時間が経つと絵具が「ねまって(粘る)」しまうため、1回ずつ絵具を交換しました。

この先、息子さんへ一番に伝えていきたいことは何ですか?
将軍家への献上品作りからはじまった長い歴史をもつ伊万里鍋島焼の伝統を残していかなくてはいけないという強い使命を自分は常に感じています。 伊万里大川内山には30ほどの窯元がありますが、そのほとんどが小さな家内業です。息子には畑萬陶苑のチャレンジ精神で、今までにない、そして他人とは違うより良いモノづくりに挑戦していくことで、この地域の産業を引っ張り、他の窯元と共に伊万里鍋島の魅力を発信していくリーダー的存在になってほしいです。

© Taiki Beaufils